——大学でも美術を専攻?
はい。デザインや油絵、デッサンの勉強をしました。シルクスクリーンが好きなんですが、大学にはその設備もあって、そんな環境のなかで好きな創作ができました。そんななかでも絵本のことはいつも頭にあって、いつかは描きたい、と思うのだけど、何をどうしていのか全くわからなくて……。
大学を卒業してから、絵本作家を目指す人のための講習会にも参加しました。そのときの講師は、赤羽末吉、田島征三、わかやまけん、今江祥智。みんなが聞くと羨むような黄金メンバーだったけど、絵本には関係ない自分の話しかしなくて、絵本作りには全く役に立たなかったな(笑)。
アトリエには、ご自身のシルクスクリーンの作品がかかっている。
——初の絵本『だいくのせいさん』が生まれたのは何歳の頃?
31歳の頃です。高校時代に絵本を描きたいと思って、これほど時間が経っていたってことなんです。絵は描きためていました。ある日、友だちのつてで出版社(ポプラ社)の人に会う機会があり、それを見せたら、「一度描いてみませんか?」といわれたんです。文は小野寺悦子さん。でも、なにをどう描けばいのか、まだわからなかったですね。ただただ一生懸命描きました。瓦一枚一枚ていねいにていねいに。
——わからないというのは?
次のページへどうつなげるか、構成をどうしたらいいのか、伝わるように描くには造形をどうしようか、などです。絵本はひとりよがりなものじゃあダメだということはわかっていました。読み手にどう伝えるか、これが難しい。ヤーノシュ、ワイルドスミス、バーニンガム、茂田井武など、ぼくの好きな絵本作家たちの作品は、みんなおおらかで、あそび心いっぱいで、絵としても強かった。なのに、どうしても硬い表現になってしまって……。自分がふだんやっているシルクの表現とも全く違っていました。
——次に出たのが『ピースランド』。
2年後に絵本館から出したのが『ピースランド』。力を抜いて、得意なシルクを刷って、それを原画としました。南の島ののんびりした空気感を出した作品です。この表現が土台となりましたね。「忍耐」「努力」「根性」が全くないぼくだから、思いついたその瞬間瞬間を楽しみながら、わくわく絵本を描くというスタイルしかないでしょう!
『ピースランド』(絵本館) 高畠 純/作
——アイディアはどんなふうに生まれますか?
散歩中が多いです。ある場所で、ここで浮かぶってところがあるんですよ。あと、天井の高い解放感のある喫茶店にもいきますね。ふだんから、自分に与えた課題や、文章のひとから受け取った原稿のことを、もやもやした状態でずっと抱えているんですが、そのもやもやを楽しんでいるんです。たぶんみなさんも、やらなきゃいけないことがあっても、掃除をはじめたり、お料理を作ったり、鉛筆を削ったり、いましなくてもいいことをやるでしょう? ぼくもそうなんです(笑)。その作業のあいだも、頭のなかでは整理していて、そのイメージを徐々に固めていっているのですね。それができたところで、部屋に戻って一気に仕上げます。
——絵本作家を目指すひとたちへ、伝えておきたいことはありますか?
やりたいことがはっきりしていないひとは、とにかにくスケッチから始めてほしいです。訓練すると徐々に上達するのがわかって、おもしろくなります。ただ、テクニックだけあっても絵本作家としては厳しいです。伝わる表現って難しいんですよ。例えば、童謡の「サッちゃん」の歌詞を思い出してみて。サッちゃんという女の子の年は何歳くらい? 髪形は? どんな格好をしている? 言葉を絵にするって、結構たいへんなことがわかってきますよ。絵本の絵の場合、その言葉以外にも、時代背景、時間の流れなども表現しなきゃいけないし。それを、気持ちを自由にして、いかに楽しんでできるかですね。そして、これまでにたくさんの表現方法で絵本が作られてきましたが、それでもまだまだアイディアは生み出さなきゃだめです。ぼくも、毎回新鮮な気持ちでトライしてます。
手入れの行き届いた、緑がいっぱいのお庭
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