——「うまい」といわれることが、絵を描く原動力
水彩で田んぼの絵を描いて、先生にめちゃめちゃほめられたことがあるんだ。稲刈りをしたあとの田んぼで、油絵みたいに絵の具塗りたくってて、遠くから見たら抽象画みたいなの。でも、じつは先生はその絵を逆さまに見ていたの。でもまあ、人がよろこぶってうれしいじゃない。たとえ逆さでもさ。それが絵を描く原動力になっていったのはたしか。
いくら絵が好きな僕でも「中庭でスケッチです、ウサギ小屋を描きましょう」っていうのは気乗りがしなくて、ぜんぜん描けない。宿題になって持ち帰ったんだけど、そのときたまたま堀江謙一(故)さんがヨットで太平洋を横断した話が自分の中ですごく心に残っていたもんだから、その絵を思い浮かべて描いて出したんだ。まったく宿題の主題からそれてるけど、ま、いいじゃない。ウサギはぜんぜん描く気がしなかったからね。
物語の世界からやってきた? 荒井家の空気清浄機くん
——洒脱な線の絵が好き
チャールズ・M・シュルツの漫画「ピーナッツ」に出会ったのは衝撃的だった。チャーリー・ブラウンと飼い犬のスヌーピーを中心としたキャラクターたちが、シュールな人生観を展開するギャグ漫画なんだけど、どこで笑ったらいいのか、わかったようなわからないような内容で、最後はため息で終わる感じなんだけど、「こういうの好きだ!」って思った。このノリが自分に合ってるなーって。
学級新聞(壁新聞)で、ガリ版(謄写版の俗称。また、その鉄製のやすり板。鉄筆で原紙を切るときのがりがりいう音からの名)刷ってたから、その中にスヌーピーも描いてた。ほかにも、フランスのジャン=ジャック サンペ の「プチ・ニコラ」のシリーズも好きで、よく真似して描いてた。
女優の渡辺えりさんと中学がいっしょ。彼女は生徒会副会長だったんだけど、演説がすごくおもしろかったんだよ。その生徒会で発行している学校新聞も、学校の全職員の似顔絵を中1〜3年までずっと僕が任されていて、描いたりしたな。そういえば、中3のときに、みんな受験でナーバスになってて、これじゃいけない! と思った僕はみんなを元気にするポスターを描いたんだ。自発的にね。みんな元気だせー! 乗り越えよう! って感じの内容。じつは当時、三島由紀夫が事件を起こしていて、その衝撃映像に触発されて描いた絵なんだけど、先生にすごくほめられた。そんなことやっていたね。目立ちたかったんだろうねー(笑)。
——長髪のサッカー選手が夢だった
高校では髪の毛を伸ばしてサッカーするってのが夢で、大学には進学しないつもりだった。サッカーは強いチームじゃだめなの。根性でやるサッカーじゃなくて、ボロ負けしても楽しむサッカーをしたかったの。だいたい、坊主頭がいやだったからね。志を同じくする仲間が集まって、山形でクラブチーム作ろうってことになったんだよ。でも、練習中にチームのひとりが大けがしたのが問題になって、あっさり解散。それで、美術部に入ったんだ。
でも、キャンバスに黙って向かっているのもカッコ悪いって思ってたし、ふつうに美術っていうより、ポップアートをやりたかった。社会とはなにか? つながりをもたなくては、とかいろいろ考えていたよ。公害問題も関心があった。バングラデシュやアフリカの現状とか、社会情勢にかかわることにも関心があって題材にしてたな。
絵は、水彩ではベルギーのジャン=ミシェル・フォロンのポスターや、アメリカのジャクソン・ポロックがかっこよかった。また、その画家本人の写真を見ると、立ち姿や、履いてる靴までかっこよくて、そういとことにいちいちしびれてた。
——大学にはまじめに通わず、絵本屋通い
高校に入った当初は大学には行かないつもりだったけど、結局は日大芸術学部に入ったんだ。受験でデッサンはできないとまずいから、ある程度は勉強したけど、出題傾向を調べて準備したって感じかなあ。せっかく入学できたけど、授業はさぼりがち。毎週のように通ったのは、なんと絵本の専門店だったんだよね。
じつは、子どもの頃には絵本を読んだ記憶ってほとんどないの。でも、大学1年のとき、書店で見て初めて衝撃を受けたのが、アメリカのマーガレット・ワイズ・ブラウンの絵本『GOODNIGHT MOON(邦題『おやすみなさいおつきさま』)。造本、質感、すべてがかっこいい。田舎から出てきた僕にとって、見たことない世界で、うれしくてうれしくて。こういう仕事がやりたい! って思った。だって、タブローと違っていっぱい絵を描けるし、言葉も入れられるじゃない。1冊で作品。それが大量に印刷され、自分が知らないところへも運ばれる。ポップアートじゃん! かっこいいなーって思った。これで自分を表現できるって思った。とくに外国の絵本は、日本の絵本よりも、デザインと造本、書体の選び方にまで遊びが感じられたんだ。
で、最初に買った絵本は『あおくんときいろちゃん』(レオ・レオニ 至光社)。でも、学生時代はあんまり買えなかったな。それで、しょっちゅう絵本の店に足を運んで、お店でずーっと地べたに座り込んで読んでいたんだ。
荒井さんの遊び心
——長新太、糸井重里に脱帽! こんなのあり?
日本の絵本では、長さんの『ちへいせんのみえるところ』(ビリケン出版)、糸井さんの『さよならペンギン』(湯村輝彦/絵 初版・すばる書房 現・東京糸井重里事務所)にやられました。でも、あえて買わなかった。僕ってすぐ影響されちゃうから、買ったら真似しちゃうだろうなーって思って。絶対に買っちゃいけないと思った。
そうやって絵本に出合って最初に思ったのは、絵本ってなんなんだ? ってこと。考えても簡単に答えが出るもんじゃないんだけどね。作り方ってあるのか? とか考えた。僕は、なにかに迷ったとき、本屋に行って背表紙を見ると元気が出るんだけど――中身は読まなくとも(笑)――、このときも、まずは本屋。すると、あったあった、指南書みたいなのが。でも、それを読んで、頭にきちゃったの。「こんなふうに考えて作らないといけない」「子どものことを理解してないとだめ」「絵本作家は食えない」とか、そんなことばっかり。食える食えないって話じゃなくて、僕は作りたいんだ! モチベーション下がるじゃないか! って思った。でも、一方で「そうかー、絵本は子どもの読む本なのかー、そりゃそうだよなー」とも思った。いま思えば、親切な本だったんだ。
——とにかく描いてみた。わからないけど描き続けた
でも、描いてみたよ。「おたんじょうかい」の絵本とか……。なぜ、誕生会? 僕、なんでこんなの作ってんだ? と思いながら、すごくかわいいの描いてた(笑)。で、うまくいかないと、「ま、いいや、僕、絵本作家になるつもりないし、子どものことなんか、ぜーんぜんわかんないし、って自分に言い聞かせてみたり。苦しんでいたのかな。いま思えば、「子ども」の壁があったんだ。それでも、また絵本作ってみる。「ぞうさん」を描きながら、なんで「ぞうさん」なんだー! ただの「ぞう」は描けないのかー! なんで僕はぞうにオーバーオール着せてんだー! って葛藤して。でも、どうしても「さん」のつくものになっちゃう。「さん」やめよう、って、もがきながら少しずつ描きためていったんだ。
ここもかしこも家中荒井ワールド
——焼鳥屋のバイトでつないだ人脈から仕事の活路を見いだして
大学を卒業したあとバイトしていた焼き鳥屋にいろいろな人がきていて、そのなかに編集者もいたんだ。挿絵の仕事を紹介してくれて、人脈も広がって、少しずつだけど絵で食べていけるようになった。以前は個展に興味がなかったけど、個展もやるようになったんだ。それは、「絵本をやりたい」ってアピールのため。絵の下に長めの文章入れておくの。
僕の個展をよく見にきてくれていたトムズボックスの土井章史さんが、そんなのを見て、絵本やろうよって言ってくれて。それまで絵本のことを話せる人がまわりにはいなかったから、すごくうれしくて。彼は長さんのファンでもあって、長さんの話を聞くのもうれしかった。
土井さんが立ち上げていた「イメージの森」っていう絵本シリーズがあって、そこで1冊やってみることになったんだ。そうはいっても簡単じゃないから苦しかったよ。まずやったことは、自分の子ども時代を振り返ること。記憶をたどって、初めて観た映画、好きだったお笑い芸人のこと、赤塚不二夫の漫画のこと、チャーリー・ブラウン、音楽……。ずーっとずっとたどって、そして、自分の子どもの部分をよろこばす。1年生の自分を元気づけようか? 中学生の自分を元気づけようか? 高校か? いや大学だ……そんなふうにターゲットをしぼって……。でも結局、子どものときの自分じゃなくなっちゃったりして(笑)。まあ、それでもいいわけだし。
絵本を無理して作ることはないって思ってたから、ゆっくり徐々に作っていったんだ。それがそのまま表題になった。その体験を通して見えたもの、それは、僕は自分のこと考えて絵本を作るけど、それはきっと誰かにつながっていて、社会とつながっているってことかな。
——いま、絵本界、絵本作家の状況について思うこと
絵本を描くための絵本作家――絵本作家になるための作家が多くなってきた。それ自体は悪くないんだけど、おもしろいものはなかなか生まれないよね。どこか同じというか、つまらないよね。はみ出す部分がおもしろいのに、「こうすれば絵本的」みたいな概念にとらわれすぎていると思う。僕は子どもを鋳型にはめ込むのがいやなんだ。子どもにはわからないとか、子どもはこうだからとか、決めつけたくない。それは子どもたちと一緒にワークショップをしていても思うこと。彼らのエネルギーや方向性のおもしろさは、はかりしれないもの。
ただ、出版社の数字が示す、こういうふうなものが売れるとか、保育の現場から見た絵本作りってものもあるから、そのあたりは無視できないんだけど。作家が解放されていれば、それに呼応してなにか感じてくれる人も多くなるんじゃないかな。ひとりよがりじゃいけないと思うけど、最終的には、僕がおもしろいと思うんだから、絶対伝わるんだ! って思って描いてる。
あと、大人には絵をもっと見てほしいな。とくに、読み聞かせをするときに、大人は文字ばかり追うでしょ。すると絵をじっくり見なくなっちゃうんだよね。子どもは絵を見てこまかな発見をする。すみずみまで楽しんじゃうんだ。せっかく絵本なんだから、絵も味わってほしい。
画材はアクリル絵の具
——最後に、絵本作家になりたい人たちへ
物を創る人は必ずといっていいほど、過度に影響を受ける作家に出会うと思うんだ。まずは模倣からその作家に近づこうと試みて、よろこんだり落胆したりするよね。それも間違いじゃないけど、模倣から抜け出す力をつけはじめたときから、やっと自分の進むべき道が見えてくるんじゃないかな。人とは違うことをやるぞ! という気持ちを持つことが大事だよ。
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