——子どものころのきたやまさん
絵を描いたり、おはなしを作ったりするのが好きで、小学校3年生くらいのころから自分で月刊誌出してたのよ。時代劇や、探偵物の創作物語に挿絵つけて、漫画やクイズも入れてね。自分の創作が間に合わないときは、最近読んだおもしろい本をリライトして、それでも間に合わなかったら、クラスの他の子に原稿を依頼したりしてた。なんせ、鉛筆持つようになってから絵を描いて、字が書けるようになってから、おはなし書いていましたから。いまでも、押し入れの引き出しに、山のように残ってるのよ。
うちの母が、私を宝塚に入れたかったみたいで、劇団にも入ってた。小2から日本舞踊やって、バレエ、発音発声練習と、忙しくしていました。でも、もともと人の目なんて気にしないマイペースな子だったから、人前でなにかやって評価される世界が嫌になって、やめちゃった。結構からだが弱くて、原因不明の大きな病気もしたから、親戚からは、この子は長く生きられないって思われてたみたい。十二指腸潰瘍やったこともあるのよ。
小さいときから散歩が大好きで、電車に乗っても途中下車して、2駅3駅歩くことも、ざらだった。歩く速度って考えるのにちょうどいいのよ。いろいろ観て、発見したり、考えごとしたりするような子でね。そのぶん神経質なところもあって病気もしたのかな。
——絵本作家を志したきかっけ
高校のとき、大学の進路を考えて、絵はずっと描いていきたいって思いがあったから、美大を受験しておいたほうがいいかなって思ったのね。絵とお話を描けるなら漫画家もよかった。それで、銅版画家の先生についてデッサンを習って、文化学院美術科を受験することにしたの。面接のときに「うちで絵を勉強して何の仕事に就きたいんですか?」って聞かれ、深く考えずに、イラストレーターって答えたのよ。当時は70年代のイラストレーター全盛期で、横尾忠則、宇野亜喜良たちが活躍してたから。先生には「それなら、ものすごくデッサンの練習しなきゃね。」っていわれたわ。学校では油絵やって、児童文学の授業もとって……。
クラスに、絵本好きな友だちがいて、その人たちと、ロビーで展覧会をしてた。近くの大学の学生だった沢野ひとしが児童文学の先生のところによく来ていたの。その沢野ひとしが絵本の研究していて、まだ翻訳出版される前の『げんきなマドレーヌ』や、ホフマンなど、外国の絵本をいろいろ見せてくれて、ああ、こういう世界があるんだーって思って、絵本の仕事がしたくなったの。
きたやまさんのお好きな絵本は、風通しがよく、読後に満足感が得られるものとのこと。右『アルバートのアルファベット』(レスリー・トライオン/作 BL出版 品切れ重版未定)、左『せかいいちゆうめいなねこフレッド』(ポージー・シモンズ/作 あすなろ書房)、上『おなかのすくさんぽ』(片山健/作 福音館書店)。
——初めてのお仕事は?
大学の先生に絵本の仕事をしたいっていったら、学研を紹介してくれて。おはなし作って絵をイラストボードに描いて編集部に持っていったら、袋だたき(笑)。あなたには、まだ自分の線がないとか、なんでこんな絵が描きたいんだかわからないとかね。でも、たまたま学研が『母と子の世界名作絵本全集』を出していた時期で、「試しにこの詩の絵、描いてみる? 気にいったら使ってあげる。」っていわれ、全く未知の世界に挑戦することになったの。
何度描いてもダメ出しされて、苦しくて苦しくて。編集者に「今度ダメだったら他の人に頼むから。」っていわれたわ。もう、絵本の仕事をあきらめなきゃいけないのかって思ったら、こだわりをとっぱらって自分の好きに描いてみようって気になってね。それまでは、文章を絵にすることばかり考えていたんだけど、詩にない部分を考えた。クマとキツネがでてくるんだけど、性格はどんなだろう、どんな生活してるかなって空想してね。その作業はとてもおもしろくて、絵を描くのが楽しくなって。結局、それが気に入られたの。絵本の仕事は自分が楽しめなきゃ、見る人も楽しくないのね。この体験で、開眼できた。
——よく観ること、楽しむこと、感性をきたえること
私は、日々の生活が好きなの。お料理、お洗濯、お掃除、草花を部屋に飾ったり、犬と遊んだり。おもちゃも好きで、部屋にはたくさんの友だちがいるのよ。そばにおいておくと、みんなのはなしが聞こえてくるの。いつのまにか、私も一緒におしゃべりしている感じ。私の絵本のなかに、それらのものがいろいろ登場するけれど、最初から本の中に出そうなんて思っていないのよ。たとえば、この花の横にはこの花がいいかなって置いておくと、色や形や配置がインプットされて、そういうものがちょうどいい場面で登場するというか、ふっと出てくるの。それは生活の一部なのよ。あと、興味を持ってよく観てみると、新しい発見がいろいろあるの。思い込みや、観念を取り払うことも大事かもしれない。
子育て中も、娘ととことん遊んだわ。娘は「大きくなったらダンゴムシになりたい」っていってたから、それなら、立派なダンゴムシになれるよう、毎日訓練しなきゃ、ってことで、私は、いきなり横からつついて。ほら、ダンゴムシなら反射的に丸まんないといけないでしょ。そうやって鍛えてあげたり。テントウムシになりたいってときは、赤い座布団を背負わせて、歩く練習させたりね。
そういうことが結果的に仕事につながっている。気持ちいい生活して、それをみんなにもわけてあげたいのね。ほら、こんな楽しい絵ができたよって。みんな、楽しまないで何かを得ようとすることが多い気がするの。絵の勉強、文の勉強どうすればいいの? ってね。私はそう聞かれたら、まず、日々の生活を楽しみなさいっていうのよ。私だって自分のことも含め、日々発見であり、生きてくってそういうことなんじゃない? 人は人それぞれ自分のことをみつけていかなきゃなんないのよ。だから、日々ていねいに、楽しく生活したいよね。
身近にある花が絵本の中にさりげなく登場している。
——新人賞の選考をして感じたこと
表現手段としての絵本の面白さを、まだ生かしきれていないのでもったいない。絵本は絵のうまさだけじゃないでしょ、そのへんむずかしいところ。タイトルで惹き付け、絵で語り、言葉で奥行きを出すのが絵本だと思うんだけど、100人いれば100通りの表現があって、どれが正しいってことじゃないから。いずれにしても、自分の表現手段として絵本があっているなら、どんどん描けるはず。審査員も含め、人になんと言われようともあきらめず、かといって自分はこれって思い込まずに、常に白紙で挑戦して欲しいですね。絵本の仕事で食べていくって、本当に大変なことなのよ。1冊出しても食べていけないでしょう。3冊でも食べられない。ちゃんと残るものを書き続けないと。絵本という形にしたい、という気持ちはわかるけど、それだけにこだわらず、小さな仕事でも全霊込めてひとつずつこなしていけば、色々なものが、きっと後からつきてくると信じて書き続けて欲しいです。
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