編集部で『けんぽうのおはなし』の原画最終確認中の美穂さん
——美穂さんは小さいころ、どんなお子さんだったのでしょう?
2歳半離れた弟がいるんですが、なりきりごっこしていっしょに遊ぶことが多かったです。でも、ちょうど私が母のひざが恋しいころ生まれたから、にくたらしくて、いじめることもありました。
うちの家庭では、学校の勉強はそんなに頑張らなくてもよくて、そのかわり、音楽や美術、読書といった情操教育に力を入れていました。私は幼稚園のころから絵を描くのが大好きだったの。母が広告紙をたくさん用意してくれていたから、何時間でも絵を描いてた。田辺製薬のマークとか、バンビとか、同じように描けるまで、ずーっと描いていました。よく見て描く、というあのころの集中力はすごかったな。いま、あの根性はないと思う(笑)。
よく見る、といえば、なんでもじっと観察するくせがあって、高校のとき、電車のなかでよその人のことをじっと見てたら、友だちに「人のことあまりじっと見ちゃだめ」って注意されたほどです。
本を読むのも大好きでした。お話のなかにすーっと入っていくあの感じがたまらなくて。ひとりになってその世界で楽しんでいました。中学では放送委員、図書委員になって、放送室や図書室を独り占めして、しあわせな時間を過ごすことができました。特に好きだったのはジュブナイル。図書館の本を片っ端から読んでた。
小学校の低学年までは、黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』(黒柳徹子/作、講談社)にでてくる、トットちゃんみたいな子だったんですよ。学校をプチ脱走したり、授業中でも外を見てたり……。先生からみたら問題児で、親が呼び出されたりして、相当ショックを受けたみたい。でも、高学年になってからはお勉強も好きになったし、いま、友だちに聞いてみたら「普通だったよ〜」っていわれますけどね。
——絵の道に入ったきっかけは?
中学3年の受験直前に中学の先生が絵の道をすすめてくれたんです。ちょっと変わった子だったから、ふつうの女子高にはいかないほうがいい、のんびり屋だから大学までの一環がいいっていわれて、日大の付属高校が新設(日本大学鶴ヶ丘高校 芸術系のコースが新設された)されることも調べてくれて。私はスポーツ系のクラブに所属していたんだけど、たまに美術部に遊びにいってて先生にちょこっとデッサンを習うこともあったんです。そして、目指していた美術科に合格し、油絵をやるようになりました。
高校3年間は、デッサン好きだった! もともと、もののしくみがどーなってるのかとか、人がどんなふうに立っていつのか気になって、じっくり見て描くタイプだったから、好きなことに集中できた3年間でした。自由な絵を描く時間は、高いところから見た町のようすを描いていました。俯瞰でね。構図の基礎はこのころにできたかな。
私、電柱って好きなんです。絵本のなかにもよく登場させてます。風景としてはよくないから、地中に埋めようなんて話もありますが、自分にとっては小さいときから見ていた町の景色の一部で、ぬくもりやひっかかりのあるものだから、なくさないでほしいですね。
大学はストレートではいけなくて、試験がありましたが、日芸の美術学科油絵科に。でも結局、2年やって中退です。弟が柔道で大けがしてその看病で病院へいくことが多くなり、学校より弟が大事で大学へ足が向かなくなったんです。まあ、イラストの仕事で食べていけるかな、なーんて、あまあまな期待もあって。
——で、トランポリンのお姉さんもやったことあるとか!?
いろいろ絵を持ち込んだけど、イラストで食べるのは無理かな、って思いました。ただ、当時コーポレーションアイデンティティが台頭していて、企業やブランドのロゴやマークシンボルを作る仕事があったんです。それで少しは需要がありました。いろいろなバイトのなかに、遊園地でトランポリンのお姉さん募集ってのがあって、これも応募したんです。まーったくやったことなかったんだけどね。でも、採用してくれて、深夜の猛特訓させられた(笑)。半泣きでしたね。ほかにも美術出版やってる会社の編集部で、編集なんてできないのに、「できます!」っていって採用されて、帰りに編集入門の本、買って帰ってレイアウトの勉強したこともあったな。
あとは日生劇場で、案内のバイトをやりました。実はここでの経験が仕事をするうえでのキーポイントになっているかもしれません。劇団四季などが、ゲネプロ(本番と同じ条件で行う通し稽古)から本舞台(ミュージカル)までをやっていて、その舞台ができ上がるまでの工程をすべて見ることができたんです。毎日くりかえしくりかえし、こちらが覚えるまでね。本格的に演劇をやりたい人たちがバイトで入っているようなところでした。あと、クラシック音楽の公演もあったし。照明や音響さんたちとも仲よくなって、仕事を教えてくれたし。小さいときから家に出入りしている人たちも、お芝居の世界の人だったから、興味深く見ることができました。大道具にも興味があって、そこにも食指が動いたな。ものすごーく楽しくて有意義な時間が過ごせました。
本棚に進行中のラフ画がどっさり。同時に進行するときもあって頭の切り替えが大変なのだそう。
——絵本の道に入ったのには、あるお師匠の影響があったとか
そして直接いまの絵本の仕事につながることになったのが、某区立図書館の産休補助職員の経験です。そこには、学校帰りの子どもたち──ほぼ同じ顔ぶれ──がいて、いろいろな本を読んだり、友だちと遊んだりしていました。そのなかにひとりの女の子がいました。まあ、仕切り役の「ぬし」といった存在でした。その子は、私に絵本を持ってきては「これ読んで!」と指示をするんです。うまく読まないと、私に「声が小さい」とか「感情がこもってない」とダメだしをするんです。で、少しでもおもしろくないと「もういい」とやめさせちゃう。おしまいまで読んでもらえない本は、なんてかわいそうな本だろーって思いましたよ。
でも、いまになって思い返すと、その子が読んでほしいといった本は、絵本の世界でこれは外せないという作品ばかり。『やっぱりおおかみ』(佐々木マキ/作、福音館書店)とか『トリゴラス』(長谷川集平/作、文研出版)には、こんなアバンギャルドな表現があるんだー、自由度高いぞ、絵本! なんて思いましたから。シュルビッツの『よあけ』(ユリ・シュルヴィッツ/作・瀬田貞二/訳、福音館書店) にも出合いいました。モノトーンから、急に日が昇り緑になるシーンでは、ゾクーンときて、あの瞬間に、こういうことやりたーい! って思ったんです。ほんと、師匠のおかげで、いまの仕事やってます。そして、師匠の薫陶を受け、あの子が途中で読むのをやめてしまうような絵本は絶対描かないようにしよう! と本気で思っています。
——初めての持ち込みは?
散々な結果です。K談社に持っていって一日待たされたあげく、編集者に会ってももらえず、翌日再度編集部を訪れたら「こんな絵にもなってないもの持ち込んで!」っていわれ、あまりの悔しさと悲しさで、泣きながら山手線1周しました。そのときの作品は「ますだくん」(ポプラ社)のダミーと、「あしたえんそく」(理論社)の完全版です。その編集者なりに心の問題を抱えていて、あとであやまってきましたが、「こいつを見返してやる!」って思いを新たにしたのは事実です。「ますだくん」で、講談社の出版文化賞や絵本にっぽん賞をとれたから、見返せたかな?
私の技法は、マンガっぽいとそっぽを向かれたこともあります。最初のころはなじまない感じだった。でもあるとき、ある編集者に「フランスの絵本にコマ割りのがあったよ。日本でこういうものの先駆者になろう」っていわれ、嬉しかったのをおぼえています。先駆者じゃないかもしれないけど、こういう表現もありだってことだよね。画材は、コピー用紙にマーカー。油絵の色を重ねていくという表現を、マーカーを使ってやっています。
だから、真剣に絵本作家を目指すかたは、自分の才能を信じてあきらめないことです。だれかが「これ下手ね」っていっても、「この人には私の才能がわからないんだ」って気にしないことです。最後まであきらめないでがんばるのが大事。でも絵本作家じゃ、お金持ちにはなれませんよ。でも、私はやりたいことができるので幸せです。
マーカーやペン、色鉛筆など。主に制作に使われている画材。マーカーもここまで並ぶと芸術。
——絵本作家をやっていてよかったと感じるときは?
なんといっても子どもたちとコミュニケーションできるってこと。一時、自分のやりたいことやればいいんだと思って、作品を描いていた時期があるんですが、あるとき読者から手紙がきて、ひとりよがりじゃいけないんだって気づきました。はじめて読者のほうを向く大切さに気づいたというか……。例えば、子どもたちのなかには「ますだくん」に登場するみほちゃんを、そのまんま私のことだと思っていて……年齢も含めて……「牛乳飲めるようになりましたか?」というお手紙をもらいます。「うちの子とそっくりです」とか、「私の子ども時代を思い出します」という親からの反応もあります。共感してくれる喜びもあります。
私の場合、読み手が意識できるとモチベーションも上がります。子どもたちって、審美眼もあるから、手を抜くとそっぽ向いちゃうし……師匠みたいに……飽きるのも早い。次のページをめくりたーい! って思わせるように、じっくり練っていかないとダメ。これでどうだ! って挑むくらいでないとね。
『パパカレー』(ほるぷ出版)のラフ画。
——美穂さんはオーサービジットなとで、ワークショップもよくやっていますね
私のワークショップは、教えるのではなくて、楽しく考えたり作ったりするための時間と場所と素材を用意して、なにかを引き出すお手伝いって感じです。私自身はいつも控えめ。子どもたちって、もともとクリエイティブ。お互いの作品にも刺激しあって、びっくりするようなものを作ってくれちゃいます。自分に興味を惹きつけようとそばに寄ってくる子、友だちのいさかいのことを話す子などいろいろな子がいます。そして、最後はみんなで壊す。バーンって壊して紙吹雪にして、ゴミ袋に入れて。だって、おいてたって、先生かだれかが結局は処分しちゃうでしょう。それより、みんなで壊すのがいいんです。ゼロにすると、またそこから新しいものがはじまるしね。
——美穂さんにとっての絵本とは?
絵本はたかだか24ページ、32ページの紙の綴じられたもの。それだけのもの。でも、そのなかで自由にできるんです。「めくり」の芸術だから、自分の心地よいリズムでもって、楽しくめっくてめくって……それがいいところ。私はリズム感をいちばん大事にしてます。読んでめくっていくと、そのうちだれかに読み聞かせたくなる、そんなものを目指してます。
美穂さんの絵本はアジア諸国でも大人気。
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