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(ほろほろ鳥)6月の編集後記

いま絵本新人賞の選考が佳境を迎えていますが、新人賞に応募されるメリットは、賞を取ることだけではありません。今月刊行した『ルッキオとフリフリ 大きなスイカ』は、選からもれましたが、読んだ者に強いインパクトを与える作品でした。それがご縁となって担当者との長い「熟成期間」を経て満を持しての刊行となりました。ぜひ、本屋さんで手に取って見て頂ければ、このふしぎなインパクトを共有していただけると思います。さて、長らくご愛読いただいている『講談社 絵本通信』ですが、この形での更新は、これが最後。スマホからも見やすく、SNSやツィッターなどとも連動して大幅に、リニューアルします。今よりもっと、こまめに情報発信できるようになります。またリニューアルを記念してプレゼント企画もありますので、ぜひぜひチェックをよろしく御願いします。(ほろほろ鳥)

 
次回は2014年7月31日更新予定です。
 
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第32回講談社絵本新人賞受賞作『ぼくと おおはしくん』刊行記念 デビュー日記連載中!
生きているのがつらいと思っているきみへのメッセージ

イラスト/高島尚子


絵本作家という仕事 −わたしはこうして絵本作家になりました− 第14回 あべ弘士
自然や動物と人間の通訳ができるという特殊能力を持つ、哺乳類サル目ヒト科アベヒロシ。旭山動物園飼育係時代から、園内の壁画、看板、オブジェ、機関誌の絵などを担当、広大な動物園全体が、まるであべさんのギャラリーのよう。自然、生き物への愛情に裏打ちされたユニークな観察眼で表現される絵本は、命と命を響かせ合うような深い生命観にあふれています。さて、そんなあべさんはどんな子ども時代をすごし、どのように絵本作家になっていったのでしょう。

Profile
あべ弘士(あべ ひろし)
北海道生まれ。1972 年から25 年間、旭山動物園飼育係として勤務。現在は、絵本を中心に創作をしている。『あらしのよるに』(講談社)で講談社出版文化賞絵本賞、産経児童出版文化賞JR賞受賞。『ゴリラにっき』(小学館)で小学館児童出版文化賞受賞。「ハリネズミのプルプル」シリーズ(文渓堂)で赤い鳥さし絵賞受賞。『どうぶつゆうびん』(講談社)で産経児童出版文化賞ニッポン放送賞受賞。その他の作品に『えほんねぶた』『みんなのせて』『エゾオオカミ物語』(いずれも講談社)などがある。

——遊びが大事

生まれも育ちも旭川。ベビーブームのころに生まれたから、まわりは子どもがたくさんいて、近所のお兄ちゃんお姉ちゃんも小さい子も一緒に、毎日外で遊びまわってたな。 遊びがすべてといってもいいくらい(笑)。動物は、じゃれあいながら相手の強さとか獲物の狩り方とか覚えていくけど、人間も同じで、遊びはとても大事だよね。

遊びには旬があって、そのときどきの遊びに熱中するの。例えば冬。雪の季節はいちばん長くて6か月もあるんだけど、スキー、雪だるま、雪合戦、あと、男の子はチャンバラね。春、まだ雪が少し残ってて、ちょっと解けてきたころは、斜面につるはしやスコップで溝を作って、川にする。そこになにか流して遊ぶの。雪がなくなってくると、鬼ごっこやカン蹴り、石蹴り、ビー玉。女の子はままごと。夏はほんとに短くて、あっという間なんだけど、学校いくようになると学校行事や野球、男の子はすもう大会もあって、練習に忙しかったな。

アトリエ内からバードウォッチするあべさん。

第32回講談社絵本新人賞受賞作 ぼくとおおはしくん

——自然の中に身を置くのが好きな子ども

うちのすぐ裏にかぼちゃ畑があって、小学2年生ころ、そのかぼちゃの大きな葉っぱの下にすっぽり入っているのが好きだったんだ。寝転んで葉っぱと葉っぱの間から見える空や白い雲を見ているの好きなの。そうしていたらあるとき、視線を感じてね、ぱっと見ると、キリギリスがすぐそこにいて、こっちを見てる。

キリギリスって、お兄ちゃんたちはいとも簡単につかまえるんだけど、小さい子どもにはなかなかつかまえられないんだ。草むらと同じ緑で見つけにくいし、後ろ足のバネが強力で、あごも強い。手なんか咬まれたら大変! 咬んだ口は首をもぎ取られても離さない。きかない性格っていうのか、まあ、きつい。子どもにとっては憧れだよね。でも、なかなか採れない。そのキリギリスが手を伸ばせば届くところにいたんだ。そのときに、「ああ、そっか。追わずにそこに身を置いて静かにしていると、生き物は近づいてくる」って気づいた。それですごく満足してしまったんだよね。キリギリスはもう採らなくてもいいって。

感じたことをそのまま言葉にすることはできなかったけど、そのときにすでに人格形成されてて、哲学もあったんだよ。そのあとの人生は確認作業。10歳のときに感じたそのことを時間をかけて確認しながら生きてるんだよね。そうそう、大人になってエッツの『わたしとあそんで』(よだ じゅんいち/訳 福音館書店)を読んだとき、ああ、俺と同じだと思ったね。

アトリエから突き出した廊下で自然を満喫。リスもあそびにくるそう。

——ものごころついたころから絵が得意

小さいときから手を動かすのが好きで、絵を描いたり、工作したりしてました。親戚のあいだでも学校でも、絵ができる子で有名だった。うちのおやじは石屋で、その兄弟はペンキ屋、ブリキ屋、電器屋、大工といった職人家系。だから物を作ることはあたりまえだったんだ。どちらかといえば立体が好きで、小学校低学年のころには、頭に思い描いたことを設計図がなくても具現化できてた。

スマートボールってあるでしょう。お祭りで見て、あれで遊びたいって思ってもお金ないから、自分で作ったんだ。じーっと見て構造を覚えてね。バネピンは手に入らなかったから、母さんのパンツのゴムもらって、ペンキ屋のおじさんのところへ行って色も塗って。できあがったら、みんな「ひろしちゃん、か〜して」って、借りにきたよ。貧乏でお金はあまりなかったけど、いろいろ工夫して豊かな生活だったな。

——あべ弘士の核その1「百人一首」

「百人一首」に没頭していた時代があるんだ。小学校1年から高校3年まで。百人一首は冬のあいだしかやらないんだけど、毎晩夕食後に近くの小さな会館で子どもたちは特訓されるんだよ。先生役は星飛雄馬のお父さんみたいなおじさんで、すごかった。小学校2年でもう大人に勝てるくらいになる。旭川の百人一首のスタイルは、下の句を読んで下の句を取るというものなんだ。詠んでいるときから取るまでのあいだは無呼吸。呼吸してたら取れないの。それで町内や市の大会で優勝できるくらいになったよ。この特訓は集中力をつけるのにとても役立った。俺はいつもはのんびりしてるタイプなんだけど、いざやるぞってときには、すぐに集中できるんだ。動物園の飼育係だったときは、動物たちを捕まえるってときにぱっとやれたし、絵本作家となったいまでは、「描くぞ」というときに、すぐにそのモードに入れるんだ。

——生物好きは兄姉の影響

きょうだいは3人で、7つ上の兄と4つ上の姉がいて俺は末っ子。彼らは生物好きで兄ちゃんは昆虫の研究、姉ちゃんは植物の研究してた。夏休みになると、兄ちゃんの自転車の後姿に乗って遠くまでチョウを採りにいったこともあるよ。姉ちゃんの研究も深くて、高校の生物研究全国一位とってたくらい。二人の影響はかなりあって、俺も中学入ったら生物部か野球部に入ろうって思ってた。


読書家でも知られるあべさんのアトリエ。

——あべ弘士の核その2「合唱」

小学校から中学にあがったら、すごい人数になってたの。ほら、ベビーブームだったっていったでしょう。人学年1クラス60人が10クラスもあって! 野球やりたいって思ってたエース級の男子たちが、野球部に入れないなんてことがおこったんだ。そのときに俺は、体も小さいほうだったから野球はあきらめて、生物部に入ろうとした。

ところがね、最初の音楽の授業のときに先生が声の出るヤツを探してて、俺もそれにひかかっちゃったんだよね。じつはその先生、合唱部の顧問で、合唱部の部員を集めてたんだ。で、俺も合唱部に入ったら、なんと、野球部に落ちた1年生がみんないて、合唱終わったら野球の練習なの(笑)。でも、ホントの野球部の2軍とだったら勝てるくらい強かったよ。

合唱もハマったな。中1から高3までみっちりで、生活の中心だったもの。俺はバリトンとかバス。メロディーは歌わないけど、ほかのパートをよく聞いて、そのあいだに音を入れ、きれいなハーモニーを作るという役目。ここでも百人一首のときの集中力が役に立ったかもしれないな。

百人一首も合唱もものすごくちゃんとやったから、もういい、という気持ちになって引退。あとは大学受験だけど、それまで見事に勉強してこなかったから(笑)2浪して、3浪は許されなくて大学はあきらめました。

——鉄工所勤めから絵への目覚め

高校卒業後は、叔父の鉄工所に入った。そこを継ぐという意志で入ったから、みっちり修行させられたよ。ものすごい重労働で、朝7時から夜10時まで休みなし。お腹もすくから一日6〜8食くらい食べて、入った当初は体重が48キロだったのが、半年で60キロになった。筋肉がついて屈強な職人の体になったんだよ。

そこで3年間がむしゃらに働いたんだけど、ある日、鉄の塊を見ていたら、「彫刻家のジャコメッティになれる」って思ったんだ。同時に子どものころから好きだった絵への気持ちがふつふつ湧いてきて。また絵を描きたいなって。そうだな〜、やっぱり絵だよな〜って。

叔父に「絵をやりたい」っていったら、「お前の好きにしろ」っていってくれたんだ。そこからは独学で絵の勉強。技術的に早く追いつきたいから、とにかくどんどん描く。 そしていろいろな画材でやってみた。今までやらなかったぶん、早く技術を獲得したいって思ってた。図書館に通って画集を見たり、本を読むふりして、女の子をデッサンしたり。自転車に画板をとりつけて、紙を20枚くらい挟んで、左手で運転しながら右手で描くなんてこともしたな。景色を描きに美瑛までいくこともあった。手元を見ないで描く訓練にもなりました。

本格的に絵の勉強をするために東京に出ようかってときに、彼女ができて、絵で食べていくことの現実の厳しさも考えて、旭川に留まることにしたんだ。生活を考えながらも、漠然と自然に関わりのある仕事に就きたいとは思ってた。そんなころ、図書館で偶然、北海道のエゾオオカミを書いた本と出合ったんだ。それまでオオカミが自分の生まれ育った北海道にいたことも知らず、恥ずかしくなったんだよね。そこで、「飼育係になろう」と思い、初めて、旭山動物園の門を叩いたんだ。

鉄工所で働いていたころから使っている鉄の道具。かなりの重量。
道具を手入れし、大切に扱うことは鉄工所時代に培われたそう。
同じように画材の手入れも丹念に。

——動物園飼育係時代

そして23歳から25年間旭山動物園で、背中に「動物命」とばかりに、夢中で働きました。特に同僚に恵まれ「動物園とは何ぞや」と毎日語り合ってた。動物たちにとって暮らしやすい環境、人間にとってわかりやすい展示、そして繁殖について。その議論の結果がいまの旭山動物園。俺はみんなのイメージをスケッチ画としてずいぶん描き起こした。少しずつ市から予算も下りるようになっていったんだよ。

園にいる150種800点の世話をえさ作りから掃除、死後の埋葬までした。毎日見て触っていたから絵も上達したよ。キリンを頭の上から見た絵や、鳥が休息している絵も描けるようになった。そうしているうちに、彼らの命が体のなかに入っていったような気がする。動物たちからはたくさんのことを学んだ。ゴリラからは哲学、絵はゾウからだな。そしていま、カワウソのように生きたいと思っている。

——飼育係から絵本作家へ

飼育係時代の毎日の体験を動物絵日記として綴って『旭山動物園日誌』(ミル工房)がでたのが1981年。これは、「旭川春秋」っていうタウン誌と「北海道新聞」に連載したものをまとめたもの。やっていくうちに表現することの楽しみがふくらんでいった感じなんだ。ボールペンで描いたり、コンテで描いたり、紙も変えたり。ほめられるとうれしくなって、どんどん描いて。絵がおもしろくてしょうがないから、園内の看板や、園の機関誌の絵も描いた。

ある日、その機関誌を見た福音館書店 の編集者が絵本の絵を描かないか、と仕事の依頼をしてきたんだよ。ちょうど動物園に入って10年目くらいで、飼育係として変な自信ばかりあったころだな。絵本作家なんて考えもしなかったけど、あるとき、『よあけ』(ユリー・シュルヴィッツ/作 瀬田貞二/訳 福音館書店)という絵本を見て、やられた、と思った。こういう世界、表現があるんだ、と。要するに、映画や演劇を一人で全部作るような感覚ね。ひょっとすると自分に合っているかもし れないと思い、絵本作家の道を考えるようになったんだ。ほんと、なにが運命を変えるかわからないよね。

絵本作家の仕事に専念するまでは二足のわらじで頑張ったけど、ふだんはハードな動物園の仕事があって、家で絵はほとんど描けなかった。そのぶんお休みの日にたくさん描いて。札幌まで画材を買いにいくのもたのしみだったな。




旭山動物園内のオブジェや看板。あべ弘士ワールド!?

——全身に刻まれた感動を描くのが絵描きの仕事

子どもたちに、「動物は動くから描けません」ってよくいわれるんだ。でも動くのが動物なんだからしかたない。俺は動物をスケッチするときは、紙のほうをほとんど見ないんだ。動物だけを見る。例えば右側を向いてるときに描き始める。そこで左側を向いたら、スケッチブックをめくって、違うページにまた描いていく。 また右を向いたら、戻って1枚目の続きを描く。あっちにいったりこっちにいったりしながら完成させる。

みんな自分が感動したものは、じっくり見るよね。俺はアフリカにいったとき、雲に感動したんだ。これはすごいと思い、ものすごく集中して、一生懸命感動しました。その感動を時間をかけて育てる。もうアフリカの雲は絶対に描けるというくらい、意識的に感動を育てる感じ。北海道は本当にいいところで、ときどきそういう感動的な景色と出くわすんだよね。このあいだいってきた北極()でも、すばらしい風景とたくさん出合えた。身が震えるような感動は、スケッチしたり写真に撮ったりしなくても、記憶の中にちゃんと蓄積されていくんだ。そしてその感動の積み重ねが絵心をかきたてて、数年後に絵本になったりするよ。ほとんどの作品がそうだといってもいいくらい。


2011年6月〜7月に北極探検に行った際のスケッチ。

——これから絵本作家になりたいという人へ

おいしいものを食べて体を作るのと同じように、作家としての基盤を作るには、いろいろなものを食べなければいけないと思う。落語、歌舞伎、映画、美術鑑賞、運動したり、自然のなかに身を置くのでもいい。そして忘れちゃいけないのは、本をたくさん読むこと。知識は必ず役に立つ。そういうことをして、人間の懐を深くしてほしいです。

俺の場合は、百人一首に凝ったり、合唱をとことんやったりしたけど、それは集中する訓練になったし、絵を描くことも、動物園の飼育係になったことも、全部が自分作りの流れになっていると思うんだ。だから、若い人たちも、あせって作品を作ることより、まず人間としての基盤を作ったほうがいい。「なにが」描けるかじゃなくて、「なにを」描くかがポイントじゃないかな。それを模索するのが遠回りのようで意外に近道。美術大学を出て絵の道に進む人もいるけど、俺みたいにまわり道をする人もいる。でも、どちらも同じだと思います。俺にとって、北海道の歴史のこと、動物のことに関してはこれからもずっとテーマだよ。描く材料は尽きません。そしてそれを伝えるのが、自然界と人間をつなぐ通訳者としての使命かな。

旭川市買物公園にある子どもの本の専門店「こども冨貴堂」(左)と、
あべさんのギャラリー「ギャラリープルプル」(右)。
あべさんを知る上で外せないスポット。

*あべ弘士さんは、今年の6月半ばから7月から半ばに北極圏を航海しました。そのときのドキュメンタリー番組が放映になります。ぜひ、ご覧ください。
BS朝日 2011年12月3日(土)夜7:00〜8:54
EARTH friendly スペシャル 北極圏3000キロ!白夜の大航海〜ホッキョクグマの聖地を行く〜

─講談社から刊行されているあべ弘士さんの絵本―
「あらしのよるに」シリーズ
きむらゆういち/作
あべ弘士/絵

『あらしのよるに』 『あるはれたひに』 『くものきれまに』
『あらしのよるに』 『あるはれたひに』 『くものきれまに』
『きりのなかで』 『どしゃぶりのひに』 『ふぶきのあした』
『きりのなかで』 『どしゃぶりのひに』 『ふぶきのあした』
『まんげつのよるに』    
『まんげつのよるに』    

『あらしのよるにスペシャル ひとりぼっちのガブ』 講談社の創作絵本
『あらしのよるにスペシャル ひとりぼっちのガブ』

ほんとうに しんじられる ともだちが ほしい。
たたかわなくても いい ともだちが。
「あらしのよるに」の主人公、オオカミのガブが小さかったころのおはなしです。

『あらしのよるにスペシャル メイはなんにもこわくない』 講談社の創作絵本
『あらしのよるにスペシャル メイはなんにもこわくない』

こわいもの知らずのメイは、迷子になってもへいきな顔。
後ろから、たくさんのオオカミがついてきているとも知らずに……。
「あらしのよるに」の主人公、ヤギのメイの子ども時代が絵本に!

『エゾオオカミ物語』 講談社の創作絵本
『エゾオオカミ物語』
あべ弘士/作

北海道にいたエゾオオカミが、この世からいなくなったのは約100年ほど前のこと。人間と動物の歴史をシマフクロウの声にのせて語ります。

『みんな のせて』 講談社の創作絵本
『みんな のせて』
あべ弘士/作

「旭山動物園号」(JR北海道)の世界が絵本になった
北極からもアフリカからも……
地球上のあちこちから動物たちが列車にのって大集合!

第13回 スズキコージ
第12回 こみねゆら
第11回 松成真理子
第10回 長谷川義史
第9回 石井聖岳
第8回 たしろちさと
第7回 荒井良二
第6回 武田美穂
第5回 堀川理万子
第4回 三浦太郎
第3回 きたやまようこ
第2回 高畠 純
第1回 村上康成
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