——300冊も売ってしまうなんて、すごいですね。ゴブリンは、新人賞を取られた「こうへい みませんでしたか?」にも登場するキャラクターですね。この絵本は、どうやって生まれたんでしょう?
ぼくは、漫画が好きだったので「漫画と絵本の融合」みたいなことを志しました。大学時代に、文京区の小石川図書館でアルバイトをしていて、昼休みに絵本を「あ」から順に読みまくったんです。当時は、70年代の素晴らしい日本の創作絵本が図書館にいっぱいあったんです。長新太さん、五味太郎さん、村上康成さん……。それで、絵本にどんどん興味がわいて……。そうやって読むうち、絵本は漫画とはやっぱり違う、めくっておもしろいもの、ページを開いて楽しいものを作りたい! そして、自分なりに漫画と絵本を混ぜたものを作ってみたい、と思ったんです。
——たしかに、コマ割りあり、ふきだしあり、でも、ページをめくると、異次元の世界がバーンと見開きいっぱいに広がっていて、今見ても斬新な作品ですよね。新人賞に出そうと思われたのは、どうしてですか?
29歳のとき、自分は今後30代で何をしたいんだろうと考えまして……。今の自分なら何ができるだろうって、考えたんです。ならば、絵本をちゃんと作ってみようと思ったんです。それで、見つけた応募には、すべて送るって決意しました。
講談社の新人賞は、週刊現代を見てたら応募要項が載っていたので、これだ! と思って送りました。じつは、ぼくは、持ち込みってできなかったんです。駄目だしされて、落ち込んじゃうのが怖くて……。それで送った方がいいやと思ったということもあります。
——それが、第12回の新人賞の佳作になりました。佳作を取ったときはいかがでしたか?
佳作をいただいて、ああ、ぼくの作ったものって、そんなにはズレてなかったんだなって安心しました。選考委員の神宮輝夫先生に「藤本くんのおもしろかったよ」と言っていただいて、それが力になりました。ぼくは持ち込みをしていなかったので、授賞式に行って、初めて自分の作品への感想や意見をきいたんです。それが力にもなったし、参考にもなりました。佳作を取られた方は、必ず授賞式に出た方がいいと思います。
——そして、次の年に、「こうへい みませんでしたか」で新人賞を受賞。このときの授賞式の写真を持ってきました。(K、写真を見せる)
わあ、皆さん若いですね! 授賞式では、いわむらかずお先生が「藤本くん、今度遊びに来なよ」なんて言ってくださって、遠慮はしないたちなので、本当に遊びに行ったら、そのパーティーに、各社の編集さんとか、作家さん、デザイナー、カメラマン、音楽家……すごくいろいろな方がいらっしゃって……。新しい出会いがあって、とても世界が広がったんです。選考委員の角野栄子先生は、新聞に書評を書いてくださいました。その書評は、なんだかその場を借りての応援をしていただいたように、ぼくは感じました。同じく西巻茅子先生にも、「時間がかかってもがんばれ」という言葉をいただきましたし……選考委員の先生方の言葉が今も心に残っています。杉浦範茂先生は、受賞作のブックデザインまでしてくださいました。授賞式に出ることで、自分のやってることをわかってくれる人がいる、と知ることがとても大事なことだったと思うし、方向性も見えたように思います。
お話をうかがっていると、藤本さんは人との出会いを大切にして、それを新しい展開に活かしているんですね。デビューした藤本さんの新しい出会い、転機については、後編で……。
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