——野村さんの作品では定番になっていますよね。背景の町の印刷所の看板とかに、さりげなく出されていて、どういう風にだされるか楽しみなんですよ。この『おじいちゃんの まち』は、海外でも翻訳出版されましたよね。あまり英語圏以外の国からの翻訳に熱心ではないアメリカで出されたというのがすごいですね。
ニューヨークでも老人のひとり暮らしが問題になっていたらしいんですね。そういえば、その時その紹介がてら、芸能レポーターの東海林のり子さんがテレビで朗読してくださったこともありました。
たしか韓国でも翻訳されたと思います。いろんな国に共通するテーマなんでしょうね。
——たしかにテーマが普遍的ですよね。こういうドキュメンタリー的な切り口のある創作絵本の作品には、『やまのえき』や、お嫁さんがなかなかこない島の結婚式を描いた『たいのしま』。花祭りを描いた『てーほへ てほへ』などがありますね。
『やまの えき』は当時の担当者だった女性が、高倉健主演の映画『駅(ステーション)』を観て、「駅を題材にした絵本を作りませんか」と言ってくれたのがきっかけです。それで、ある新聞記事を思い出したんです。国鉄がJRに変わる直前のころで、ローカル線の廃線があちこちであったんですけど、地域の住民が、廃線にならないように乗車運動をしているという記事だったんです。考えてみると鉄道って、単なる移動の道具というより、生活そのものなんですよね。そう思ったら、もうさっそく取材を始めていました。『たいのしま』は、新潟県の粟島がモデルです。この作品は、女の子からみた、おじさんの結婚式の話ですけど、頭の中には、この新郎新婦の出会いからのストーリーができあがっています(笑)。『てーほへてほへ』は、花祭りという天竜川沿いの町々で行われているお祭りを取材して作りました。
——わたしが取材に同行させていただきましたね。残念なことに途中で異動になって担当を離れてしまいましたが。さて、この1月に刊行なさった狂言絵本シリーズの『せつぶん』は、またまったくタイプの違う絵本ですね。狂言を絵本にするというシリーズで、文章も別の人が書かれていますし、ドキュメンタリー的な作品とは作り方が違うと思いますが。狂言はもともとお好きだったんですか?
日本の伝統文化は好きだし、興味はあったんですけど、狂言の舞台を観たことはなかったんです。でも鬼をテーマにしてきたので、「せつぶん」という狂言の演目があると知って、おもしろい。ぜったい描きたいと。もとしたいづみさんの文章に絵をつける形ですけど、このシリーズの担当編集者(若)さんからも資料を送っていただいたし、自分でも調べて、イメージを膨らませました。
——光と暗闇の対比の効いた構図になっていて、すごくドラマチックです。これは実際の舞台を参考にされたんですか?
最初のラフは、狂言の舞台と同じようにしていたんですけど、いろいろ考えて、こういう形に変えました。というのは、登場人物が鬼と若い女の2人だけでしょう。その関係性が逆転していくところが面白いんだけど、やはり変化をつけるのが難しいんです。どうしても単純になってしまいますから。
文章でそれを表現する、もとしたさんもたいへんだったと思います。
「この鬼は本気でわたしのこと好きなんだわ」と女が思うところから、鬼を手玉にとるようになっていくでしょう。
女の家に押し入ってきた鬼は、最初、せっかく女が出したあらむぎを食べずに捨てるぐらい横暴。それが、しだいにほれた弱みで女がつくろいものをしてくれないと嘆いたり、押されて泣き出したりするようになりますよね。
——ええ、読み進むうちにあまり鬼がしてやられていくので、にやにやしちゃいます。そして最後、女が豆をまくシーンは痛快。鬼もあわれなんですけど、やっぱり笑ってしまいます。
女が悪者の鬼をやっつけたというより、読者の子どもたちが高見に立って「鬼も女もどっちもどっちだ」と笑ってくれるといいなあ。
——それはぜったいだいじょうぶでしょう。ところで話はもどりますが、この企画は、このシリーズの担当編集者の(若)が、野村さんに依頼したんですよね。
いや、それがちがうんですよ。知りあいが「講談社からこんなシリーズが出たんだよ」と教えてくれて「きっと野村さんに依頼がありますよ」っていってくれたんですね。それで実物を見たら、すごくいいシリーズだし、やりたいなあと思って、ちょうど落語絵本『決定版 心をそだてる はじめての落語101』の依頼がきたときに、こちらから話題をふったんですよ。それに(若)さんが乗ってくれて。
——そうなんですか! それは(若)も渡りに船だったでしょう(笑)。でも、その行動力はさすがですね。
このページの読者の何割かは絵本作家志望者の方ですけれど、とても参考になると思います。
自分のやりたいことは、待っていたらだめですね。この前、絵本作家志望の若い人に「自分の好きな絵を描きなよ」と言ったら、「えっ自分の絵を描いていいんですか」と驚かれたんです。
でもね、ハチャメチャできるときにハチャメチャやっておいたほうが、ぜったいいいですよ。
若い頃「彫刻をやりたければ、もっとデッサンの勉強をしなさい」なんていわれたけれど、ぼくはできなかったですね。練習のためのデッサンなんて。そんなことしている間に作品が作りたくてたまらなくなっちゃうんですよ。ぼくの好きな円空もデッサンとか何とか考えてないだろうって。
だから最初に個展をやったときも、だれかに「デッサンを勉強しろ」といわれたら、「鬼って、見たことがあるんですか」といってやろうと待ちかまえてました(笑)。だれにもいわれなかったけど。
——なるほど。すごく説得力があります(笑)。
もちろん無意識には練習をしていると思うんですよ(笑)。練習になっているというべきか。たとえば電車に乗っている間じゅう、ほかの乗客を観察するなんていうのはいつもやっているし。
ものをつくっている仲間と話していても、ソワソワしてくるんですよ。刺激をうけて早くつくりたくてたまらなくなる。でも、そういう風に心が動くことが大切なんです。それを逃さないことです。
それから子どもの頃の経験は財産ですよ。子どもの頃って、むきになって遊んだじゃないですか。ああいうのがたいせつだと思うんです。
——むきになって遊ぶ?
ある作家が好きだとしたら、徹底してその作家と同じことをやってみる。それか徹底して逆のことをやってみる。どっかから天の声が聞こえるくらいに没頭して、むきになってやる。そうすれば結局は、自分自身に帰ってきますよ。
—おもしろさにかられて徹底してやれば、たとえ模倣からスタートしても結局、自分自身につきあたる。
心が動いたら、それを逃さない。とっても参考になりました。野村さんの行動力の秘密に触れられたような気がします。どうもありがとうございました。
(インタビュー/ほろほろ鳥 場所:講談社)
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